OM TERRACE【さいたま市】

 少し前のことになるが、大宮で興味深い道路利用の社会実験が行われていたので覗きに行き、OM TERRACE 初訪問もキメる。

 夕刻。買い出しして屋上テラスに上がってくる人。自撮りに余念がない仲良し二人組。テラスからよく見える駅の電車に夢中のちっちゃい子を連れた若い夫婦。ちょっとした宴会を始めるグループ。一日の仕事をひとり振り返るビジネスマン。それを眺めている僕はと言えば、しんみりとひとり氷結レモンを飲んでいる。
 僕も含め視察がてらの人も多いけれど、居場所として市民に親しまれてる様子が感じ取れる。それぞれの過ごし方がお互いに尊重されている。暖かな無関心とでも呼びたくなるような関係性が醸し出すピースフルな空気。

 屋上テラスの周囲の低い位置に回した間接照明。駅前広場側のガラス柵の曇り具合と、そこに添えられた、やむを得ず缶ビール置く用としか思えないミニマムカウンター。駅前広場側と裏側とに配されたシークエンシャルなふたつの階段。1階の明るさと2階の暗さのバランス。使われ方の予想も含めて周到にデザインされた、小さくも伸びやかなパブリックスペース。
 テラスにはシンプルな可動ベンチがいくつも置いてある。けっこう重いベンチで、その重さが素晴らしい。子どもが端っこに立ったくらいではびくともしないだろうし、座った人をどんと受け止める包容力すら感じさせる。ベンチの置き場所を自由に動かせるので、グループ内外の距離感も絶妙のさじ加減で調整することが可能だし、イベントなどでは広い空間を確保することもできる。このベンチが、この場のホスピタリティを体現している。どうぞいい時間を過ごしてください、というメッセージが託されている。居場所のおもてなしデザインとして秀逸だと思う。

 昨今の都市計画は、交流・賑わい強迫症の症状が目立つが(都市にとっての交流や賑わいの意義はもちろん認めるにやぶさかでないが)、ただその場にいてよい空間、なんとなくしばらくいられる空間、そういう空間と時間が不足している。“波止場に座り、日がな寄せては返す波と行き交う船を眺めて時間をつぶしている”((Sittin’ on) The Dock of the Bay, Otis Redding)、そんな時間と場所が都市にも必要だ。駅と駅前広場なんて、まさに都市の港のような場所なのだから、ただ波止場の海面を眺めているかのように、街を眺められる場所があってよい。いや、むしろあるべきなのだ。OM TERRACE は、駅前広場に面して、一段高くて、ただぼけっとしていていいという場所があることの価値を実感できる。その時空間に身を委ねてみてほしいし、あちこちで応用されてほしいと思う。

 実用という面では、トイレがとても使われている気がする。ちゃんとキレイなのが素晴らしい。シェアサイクルも駐輪台数が少なかったところを見ると、便利に使われているのだろう。都内でも赤いシェアサイクルに乗った人をしょっちゅう見かけるようになったから、シェアサイクルは新たな都市インフラとして根づきつつある。
 高齢化社会でその重要性が高まっている公衆トイレ。スロー・モビリティの一翼を担うシェアサイクルポート。都市(なかんずく駅前)に欠かせないアノニマスで包容力のある居場所。これからの都市が必要とするこれらの機能と空間を、主張しすぎないけれど芯の通ったデザインで軽やかにまとめた OM TERRACE は、小さい施設だけれど(かつ暫定施設のようだが)、大宮駅東口の再生・再編の発火点となる重要なスポットとなるだろうし、これからの駅前における都市空間・都市機能のあり方として重要な提案(プロトタイプ)となっていると思う。

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# by citta_rivista | 2017-10-11 18:15 | 街の記録 | Comments(0)

まえがき

 都市をめぐるあれこれを綴ろうと。題して「Citta Rivista」(チッタ・ リビスタ)。イタリア語で「見直された都市」と「都市の雑誌」のふたつを意味する(つもりでつけたが自信はない)。都市をめぐる文章を雑誌のように。


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# by citta_rivista | 2017-09-22 22:28 | Comments(0)