SHIBUYA CAST.【渋谷区】

 渋谷キャスト(本当は「SHIBUYA CAST.」と書くのかもしれないが)には、そんなに足しげく訪れているわけでもないのだけれども、それでも訪れるたびにいつも「わぁ!」と心躍るものを感じる。その感興はどこから来るのだろうかと考えてみると、やはり歩道~広場(ガーデン)~低層部のボリューム~ファサード~大階段という、水平にも垂直にも連続的に展開されるシークエンシャルな空間構成の妙とデザインの質とが放つヴァイブに負っているだろうと思う。

 表側(敷地西側)からアプローチすると、渋谷駅側から来ても原宿駅側から来てもキャットストリートから来ても、ぽかっと急に開けたところに全容が現れる。サイトに至るその印象的なシークエンス。そこに広い歩道(キャットストリート出口交差点の線形をいじっている)と一体となった広場がある。広場の左手側には植栽のボリュームがあり、オープンに視線が抜ける右手奥には大階段が吸引力ある焦点のように配置されている。
 逆に、明治通り側より一段高いレベルにある裏側区道(敷地東側)からアプローチした場合は、やや匿名的な通りの風景の中にゲートのように開かれた大階段が表れ、階段を見下ろした先の広場に誘われる。ふと見上げれば、手仕事感のある木で仕上げられた階段の天井に惹きつけられる。上階腰壁の彫りの深いリブを見上げているのも萌えるものがある。
 このリブや明治通り側ファサードの縦ルーバーは、それぞれいくつかのパターンの組合せで構成されているが、それが、柔らかな風が梢を揺らしたり水面にさざ波を立てたりしているような動きを感じさせる。まさに「表情」という感じで、見飽きない。キネティックでなくてもファサードはこんなに「動く」のだということに感じ入った。

 さて。特定街区(1961年)や総合設計(1970年)など、敷地内に公開空地を確保する代わりに容積率割増を受けられる制度は、(道路がパンクしなさそうという見通しを前提とした)市街地の密度コントロール(建て詰まりの抑止)を主たる意図として創設された。必ずしも都市のオープンスペースを豊かにしようということでもなかったのだが、ともあれこれらの制度により、大都市部を中心に多くのオープンスペースが創出されてきた。例えば新宿三井ビル(1974年竣工)の「55ひろば」などは、この制度が生みだした出色の都市空間のひとつだと思う。
 しかし残念ながら、これら公開空地のすべてが優れた質を備えていたわけではないし、都市の資産としてうまく運用されてきたわけでもない。むしろ、どちらかといえばビル間の空虚なスキマでしかなかったケースも少なくないし、日当たりは悪く風は強いという厳しい環境に置かれていることもままある。また、公開空地は、広くみんなに公開された空地であるという建前から、誰かが占有的に、あるいは営利的に利用することを避けてきた歴史が長い。とってつけた余りのような空間、特に何もしてはいけないという運用。それでは、その空間が魅力的な場となることは、ほとんど期待しがたいし、そんな時間が積み重なるうちに、公開空地って基本そんなもんだろ、という諦観めいた気分を薄く広く醸成したようにも思う。
 21世紀に入り、東京都は、通称「しゃれ街条例」をつくり(2003年)、その地区のまちづくり団体として登録すれば公開空地を使いやすくする仕組みをつくった。2016年度末時点で延べ55団体がこの制度を活用している。なんだか楽しそうな感じになっている敷地内のオープンスペースがあれば、この制度を使っている可能性は高い。本来、こんな制度を経ずとも楽しく使われてしかるべきじゃないのかと思うが、何歩か前進ではある。そして、この方向は、もう不可逆だろうと思う。パブリックスペースとしての価値を高めるように公開空地(とそこに面した1階部分)はつくられていくだろうし、創出されたパブリックスペースはあれやこれやと使われていくだろう。そういうパブリックスペースの、2017年時点の最高到達点(少なくともその1つ)が渋谷キャストだ。

 渋谷キャストのパブリックスペースで特筆すべきは、なんといってもベンチだ。ユニバーサルな使い方を許容できる真ん中の広場の両側に、円や弧を連ねた曲線のベンチが配されている。この曲線の長いベンチが実によくデザインされていて、広場を眺める観客席のようにもなるし、少人数の親密な場にもなるし、ひとりの時間を持つこともできる。円弧のどこにどういう向きで座るかで、周囲を拒むことなく、その場の性格や居心地をグラデーショナルに調節できる。ベンチは植栽と一体的に設置されているのだが、その植栽も魅力的だ。とりわけ円形をなすベンチの中央に植えられた木の佇まいが素晴らしい(樹種はまた調べます…)。

 僕が「ここサイコー」とか言いながら広場でビアをキメていたのをSNSで見かけた友人が、「私もここに連れて行け」というので案内したことがあるのだが、「シンガポールみたい!」と評しながら絶賛していた。この評をどう理解したものだか捉えあぐねてはいるのだけれど、ともかく気に入ったようなのは間違いなく、小雨をものともせず1階(G階)の東急ストアで何やら買い込んで、傘をさしながらの酒盛りとなってしまった(この東急ストアが広場宴会的には素晴らしいというか頼もしい存在)。こんなことをさせる公開空地はなかった。これからのスタンダードになったと思っている。
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# by citta_rivista | 2018-01-12 17:33 | 街の記録 | Comments(0)

『近代の足音 19世紀パリ十選』(日経新聞連載)

 暮れの日経新聞で『近代の足音 19世紀パリ十選』という連載があった(2017年12月14日〜28日)。朝刊のB面トップ(最終ページ文化面だ)の右肩にある500字程度の小さな連載だ。これがとてもよかった。オスマンによるパリ大改造。その新たな都市空間や建造物、生活様式などを芸術家たちが活写する。その中から10作品を選び出し、モチーフや時代背景の解説を添える。19世紀末のパリをテーマにしたコンピレーションアルバムを聴いているかのようだった。
 時代と都市計画(為政者含む)と都市空間と都市活動(産業や生活)と芸術作品が、どうしようもなく分かちがたく相互に関連していることが、息を呑むような迫力で伝わってきた。そのような関係があることは、文字面では当然だと思っていたし、したり顔でいくつかのサンプルをあげたこともあった。でも、この連載を読みながら感じたようには、わかっていなかったのではないかと、恥ずかしながらに思う。それほどまでに、その分かちがたさがズシンと心身に響いてきた。
 連載執筆は、ブリヂストン美術館学芸課長の新畑泰秀さん。ありがとうございました。ナゾのお礼状を出そうかな(などと思うほどに堪能した)。
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# by citta_rivista | 2018-01-04 00:57 | つむじ風 | Comments(0)

OM TERRACE【さいたま市】

 少し前のことになるが、大宮で興味深い道路利用の社会実験が行われていたので覗きに行き、OM TERRACE 初訪問もキメる。

 夕刻。買い出しして屋上テラスに上がってくる人。自撮りに余念がない仲良し二人組。テラスからよく見える駅の電車に夢中のちっちゃい子を連れた若い夫婦。ちょっとした宴会を始めるグループ。一日の仕事をひとり振り返るビジネスマン。それを眺めている僕はと言えば、しんみりとひとり氷結レモンを飲んでいる。
 僕も含め視察がてらの人も多いけれど、居場所として市民に親しまれてる様子が感じ取れる。それぞれの過ごし方がお互いに尊重されている。暖かな無関心とでも呼びたくなるような関係性が醸し出すピースフルな空気。

 屋上テラスの周囲の低い位置に回した間接照明。駅前広場側のガラス柵の曇り具合と、そこに添えられた、やむを得ず缶ビール置く用としか思えないミニマムカウンター。駅前広場側と裏側とに配されたシークエンシャルなふたつの階段。1階の明るさと2階の暗さのバランス。使われ方の予想も含めて周到にデザインされた、小さくも伸びやかなパブリックスペース。
 テラスにはシンプルな可動ベンチがいくつも置いてある。けっこう重いベンチで、その重さが素晴らしい。子どもが端っこに立ったくらいではびくともしないだろうし、座った人をどんと受け止める包容力すら感じさせる。ベンチの置き場所を自由に動かせるので、グループ内外の距離感も絶妙のさじ加減で調整することが可能だし、イベントなどでは広い空間を確保することもできる。このベンチが、この場のホスピタリティを体現している。どうぞいい時間を過ごしてください、というメッセージが託されている。居場所のおもてなしデザインとして秀逸だと思う。

 昨今の都市計画は、交流・賑わい強迫症の症状が目立つが(都市にとっての交流や賑わいの意義はもちろん認めるにやぶさかでないが)、ただその場にいてよい空間、なんとなくしばらくいられる空間、そういう空間と時間が不足している。“波止場に座り、日がな寄せては返す波と行き交う船を眺めて時間をつぶしている”((Sittin’ on) The Dock of the Bay, Otis Redding)、そんな時間と場所が都市にも必要だ。駅と駅前広場なんて、まさに都市の港のような場所なのだから、ただ波止場の海面を眺めているかのように、街を眺められる場所があってよい。いや、むしろあるべきなのだ。OM TERRACE は、駅前広場に面して、一段高くて、ただぼけっとしていていいという場所があることの価値を実感できる。その時空間に身を委ねてみてほしいし、あちこちで応用されてほしいと思う。

 実用という面では、トイレがとても使われている気がする。ちゃんとキレイなのが素晴らしい。シェアサイクルも駐輪台数が少なかったところを見ると、便利に使われているのだろう。都内でも赤いシェアサイクルに乗った人をしょっちゅう見かけるようになったから、シェアサイクルは新たな都市インフラとして根づきつつある。
 高齢化社会でその重要性が高まっている公衆トイレ。スロー・モビリティの一翼を担うシェアサイクルポート。都市(なかんずく駅前)に欠かせないアノニマスで包容力のある居場所。これからの都市が必要とするこれらの機能と空間を、主張しすぎないけれど芯の通ったデザインで軽やかにまとめた OM TERRACE は、小さい施設だけれど(かつ暫定施設のようだが)、大宮駅東口の再生・再編の発火点となる重要なスポットとなるだろうし、これからの駅前における都市空間・都市機能のあり方として重要な提案(プロトタイプ)となっていると思う。

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# by citta_rivista | 2017-10-11 18:15 | 街の記録 | Comments(0)

まえがき

 都市をめぐるあれこれを綴ろうと。題して「Citta Rivista」(チッタ・ リビスタ)。イタリア語で「見直された都市」と「都市の雑誌」のふたつを意味する(つもりでつけたが自信はない)。都市をめぐる文章を雑誌のように。


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# by citta_rivista | 2017-09-22 22:28 | Comments(0)